
他の映画ではほとんど見られない視点での描き方は戦争映画の一つとしてみると新鮮に感じる。
しかし、セリフの端々や映像そのものから伝えようとしているものは、明らかにこの映画の主題は戦争ではないと言っている。
新型爆弾が広島を殲滅した後、厳しさをます東京空襲に本土決戦による一億玉砕のうわさも真実味が増して人々の将来を暗澹とさせる。
国の将来もさることながら、母親(工藤夕貴)との生活から逃れられず、結婚もできない里子(二階堂ふみ)はこのまま何もせずに死んでしまうかもしれないという絶望感にさいなまれる。
里子の「海はなぜ赤くならないのかなあ」というセリフ、畳の上でゴロゴロと所在なく体を転がす姿。
庭の菜園で栽培したトマトは赤く熟れ、それを妻子ある隣人の恋する男、市毛(長谷川博己)に自分の目の前で食べさせる。
これらはみな、里子の心情を象徴している。
それを二階堂ふみが映画の最初から最後まで見事に演じきっている。
表情、視線、息遣い、その佇まいすべてに息をのみ、引き込まれる。