『狂気と犯罪 なぜ日本は世界一の精神病国家になったのか』

狂気と犯罪
『狂気と犯罪 なぜ日本は世界一の精神病国家になったのか』芹沢一也著、講談社+α新書、2005年

本書は、明治期以降の日本の精神史であり、狂気を巡る司法史でもある。

読んでみて、久々に値段以上の価値を感じた本だった。

以下、本文の抜粋メモ。
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行政が問題にしていたのはあくまで外国人の視線だ。

この視線こそが近代日本の社会に新しい権力を、すなわち、規律ある街並みを作り出そうとする権力を出現させあからである。


世界中の全ての国は、未開・野蛮から半開を経て文明へと至るプロセスを進んでいく。

このような危機感と決意に突き動かされて、近代国家は全面的な自己改造に着手した。

明治17年の相馬事件。当時の日本には専門的な教育を受けた専門家は日本にまだいなかった。

狂気をめぐる社会的な処遇が出来上がろうとしているまさにそのとき、精神医学はそれに全く関与していなかった。

相馬事件と言うスキャンダルによって、「狂気」の処遇がすべて警察の管轄となった。

当時、精神病院への入院は、精神科医の治療を意味していなかった。それは、あくまで家族から精神科医への監督行為の委託だったのだ。

現行刑法が公布された明治40年前後当時も今も、司法の外にいる人間にとって、精神鑑定は恣意的なもの、医学の名のもとに行われているが、滑稽なものにしか感じられない。

罪人を力づくで排除すること、これこそが江戸時代の刑罰の思想だ。それに対して、明治以来、我々の社会が働いている権力の作法は「閉じ込め」である。

明治41年現行刑法が施行された。「改正憲法の主眼とするところは犯人の性格に鑑みて刑を量定するにあり」。

「おまえは一体どのような『犯罪』を行ったのか」「このような犯罪を行ったおまえは一体『何者』なのか」

動機、普段の素行や家庭環境、あるいは生育状況などによって刑期が左右されるわけだ。恣意的な制度だろうか。だが、こうしたことこそが犯罪者の個性に配慮する人格主義と人道主義の成果でもあったのだ。

精神障害者の場合、この動機が狂気におかされているとみなされる。

社会からの排除と監禁そして法の世界からの排除。

狂気が犯罪の原因であるならば、たとえ現に犯行行為に及んでいなくとも、すべての精神障害者は危険だということになる。

代用精神病院に指定されれば、経費の二分の一から六分の一を国に負担してもらえる。また、貧困な患者の費用も国が出す。これまで、貧困の中に打ち捨てられていた精神障害者が、にわかにマーケットになった。

昭和36年、それまで二分の一までであった措置入院に対する国庫負担を国は一気に十分の八に引き上げた。

後に日本医師会長が「精神病院は牧畜業」だという有名な言葉をもたらすことになる環境が整えられていった。





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