2016.06.28(Tue)
北海道警の刑事・諸星要一を演じる綾野剛の熱演がすばらしい。
公僕の主人公の名前が「要一」と言う時点ですごくタイムリー。
手段を選ばず結果を出すことに固執する主人公の生き様は珍しいわけではない。
そして、それに伴う没落過程も女、クスリと絵に描いたようにパターンにはまっていく。
そういう意味では「一番悪い奴」と言うタイトルは誇張に思えるが、実際に警察で起きたという事件と言うのが驚きだ。
組織的に倫理観を高く保つってことはしょせん無理なんでしょうな。
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2016.06.26(Sun)
2014年のアカデミー賞受賞のドキュメンタリが今頃日本公開。
暴露内容については、池上彰辺りがテレビで当然のように話し続けているので目新しさはないが、当時の暴露の衝撃を考えると相当のものだったろうと思う。
元CIA職員によるアメリカ政府の米国民と海外首脳に対する盗聴の暴露の瞬間を目の当たりにするとあっけにとられる。
暴露直後のすがすがしい本人の表情と時間が経つにつれ、目の下にクマが出来て焦燥した表情になる表情が印象的だった。
エドワード・スノーデンは現在、期限付きでロシアに駐在中。
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2016.06.25(Sat)
2014年にゴーストライター騒動で話題になった作曲家の佐村河内守氏を追ったドキュメンタリ。
何を今さらと思っていたが、これがどうしてどうして。。。
当時いかにマスコミに視聴者が踊らされていたかがよく分かる。
この騒動の時の自分の印象は単に佐村河内氏の卑劣さだけが印象に残ったというものだった。
この映画も判断を示すことは避けているので見たままを受け止めるしかないが、自分もマスコミに踊らされていたのかもしれないと思ったのは事実だ。
映画を見て印象に残った点は次の通り。
日本のマスコミは本当は耳が聞こえていたのではないかということにこだわっていた。
記者会見で今も聞こえているのではないかと問い詰めていたが、その時の佐村河内氏の反応は聴覚障害者として自然な反応と言える可能性があるというのがその記者会見を見ていた聴覚障害者の見解。
弁護士は、報道ではゴーストライターと言う書き方をしているが、証拠品を見る限りそれは正確には間違いで、新垣氏との共作関係にあり、著作権も佐村河内氏あることについて新垣氏側も認めていると明言していたのは驚いた。
弁護士が新垣氏に接触をとろうとしても新垣氏側はそれに応じようとしないことは不可解だった。
最初にこの件を扱った文春記者の神山氏も、新垣氏もこの映画の取材に応じないことは不可解だった。
海外のマスコミは聴覚障害は疑わないが、本当に彼が作曲していたかどうか証明することにこだわっていた。
曲の構想を佐村河内氏が作ったという証拠はあるが、佐村河内氏に作曲能力があるか示す証拠は一つもないと。
当初は佐村河内氏がメロディを作って新垣氏に送っていたようだが、18年の共作関係の中でそれも途中から無くなってしまい、いつの間にか丸投げになってしまったので、新垣氏がゴーストライターだと主張し始めたのではないかというのが海外マスコミの問いかけ。
映画では、その海外の記者の質問の回答に窮する佐村河内氏をアップにする。
佐村河内氏は、このドキュメンタリ監督の森達也氏に促されてここ数年やっていなかった自らによる作曲活動を再開し、その曲を公開する。
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2016.06.22(Wed)
途中からどこまでがフィクションでどこまでがノンフィクションかわからなくなるドイツ映画。
それだけタイムリーな映画ともいえると思う。
今のドイツが難民受け入れに積極的なのはホロコーストの歴史があるからだと言われている。
一方で移民受け入れについて最近は自国民が職を移民に奪われていることからも国民たちの間にフラストレーションが高まっているとも言われている。
そんな状況のドイツになんとあの人が帰ってきてしまうという映画なのだが、よくドイツで製作、上映が行われたものだと感心してしまう。
TVマンに発見された彼はそっくりさんとして売り出されはじめるが、彼の天性の演説の上手さ、ブレない政治観から瞬く間に視聴者を虜にしてしまうのだ。
見ていて参ったのは、路上に撮影に行くところだ。
町の一般者たちの反応がドキュメンタリのようだが、本当にそうだろうか。
原作本のある映画なのでやらせなのか何とも判断がつかないところが厄介だ。
ネオナチの党員に問答を吹っ掛けたりたとえフィクションだとしても本当にいいのかと思ってしまうシーンのオンパレード。
ブラックなのだが、従来の「ブラック」の枠を飛び越えた映画になっている。
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2016.06.18(Sat)
生放送の財テク番組「マネーモンスター」にやって来た番組ジャックの事件を生放送で実況しつづけるというショッキングな内容。
株の暴落がその企業の不正によるものだと明らかになっていくのだが、企業の広報なんて所詮この程度で逃れられると企業側も思っていたのだろう。
ちょっと論理的に質問をし続けるところで不正が明らかになる。
あまりにもいい加減なやつら(TVキャスター、犯人、当事者企業)がそろってしまうとちょっとしたことで大騒ぎになりした的なストーリー。
人が死なない限り、マスコミも執拗に追うことがないし、不透明で不正な取引なんて当たり前のように横行しているのだろうなとも思えて何とも物悲しくなった次第。
高等教育を受けたわけでもなく、金もない人間が都会で生きていこうとすると惨めな思いしかしないという悲哀をこれでもかと見せつけている。
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2016.06.12(Sun)
AIについて話題に上がることも多くなった昨今、それが完成したらどうなるという状況を垣間見せてくれる。
しかしながら、映画としてはありきたりなものに感じた。
逆に、およそ30年前の映画「ブレードランナー」のレベルの高さに改めて驚かされた。
(ちなみに、レプリカントのロイの生年月日(製造日)は2016年1月8日だ!)
製造したAIのエヴァをテストする役として僻地の研究施設に送り込まれた主人公だが、逆に人間である自分が本当に人間なのか、AIではないのかと思い始めたり、どちらがテストされているのかわからなくなる。。。
そして、エヴァに対して愛情を抱き始める。
興味深いのはエヴァもレプリカントも自らのことを人間とは思っていないことだ。
AIの限界は感情や感性と言うものがないことだと言われるが、人間の感情をコントロールする術を得てしまえば、AIは完全に人間に対して優位に立つだろう。
この映画は、エヴァがイヴになるということもあながち無い話ではないということを示唆している。
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2016.06.11(Sat)
がっかり。
とても残念な映画。
映画の宣伝コピーが空しく響く。。。
前編も後編も見なくていいです。
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県警と記者クラブ、キャリアとノンキャリアの対立は、ある程度リアリティを追求した警察を舞台にしたドラマでは今や当たり前の設定だ。
前編はこうした構図を前面に出したストーリーが展開して、組織の論理の中で息が詰まりそうにながら動く主人公たちの様子に手に汗を握った。
ところがどうしたことか、後編の途中から急に70年代のアクション刑事ドラマのようになってしまった。
あれだけ組織の論理を尊重していた三上(佐藤浩市)は、上司の許可を取ることなく急きょ捜査の最前線に乗り込む。
しかも、捜査の最前線で権限を逸脱して現場に指示を出そうと捜査官たちとゆさぶる。(このあたりの熱血ぶりは70年代TVドラマ「太陽にほえろ」のようだ!)
そして、あろうことか三上は誘拐まがいのことをして容疑者をおびき出し、格闘までやらかす。
三上「どうして殺しちまったんだっ?」
容疑者「そんなこと知るかっ」
はあ?
「太陽にほえろ」をやるならやるで振り切って、観客向けのもっと気の利いた会話にしてほしかったな。
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2016.06.10(Fri)
「海よりも深い母の愛」という言葉があるが、おそらく監督は母の愛と同じくらいもしくはそれ以上に父の愛も深いのだと言いたかったのだろう。
阿部寛演じる良多を軸に父性が大きなテーマとなって、物語は進んでいく。
亡き父が良多と良多の母の淑子(樹木希林)に与えた影響と、良多が息子の真悟(吉澤太陽)に与える影響が同じなところが面白い。
競輪で「勝負しろよ」と叫ぶ良多のようになりたくないという真悟は少年野球で勝負せずにひたすら四球狙い。
だが、亡き父のようになりたくなかった良多が昔なりたかった職業は公務員で、真悟の今の夢も公務員になることだ。
意思がなくても親子であるというだけで似ていると言われるが、似るまいと思っても似てしまうのが親子。
夢見た未来とちがう今を生きる大人たちも、知らず知らず親のように生きている。
淑子は良多の亡父のことを毛嫌いし、人生の中で人を深く愛しことはないと言うが、良多が離婚した元妻の響子(真木よう子)を海よりも深く愛していると言うことからも、淑子は亡父を深く愛し、亡父からも深く愛された人だったに違いない。
映画を通じて物語のわき役的な存在の淑子だが、その母としての愛の深さにもドキリとさせられる。
現代の日本の家族ドラマを描く旗手である是枝裕和の、この監督らしいよさの出た作品だった。
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2016.06.07(Tue)
動物たちが主役で、いかにも子供向け映画の典型のような予告編だったので、あまり見る気がしなかったのですが、評判の良さを耳にして公開終了直前での鑑賞です(笑)
緻密に作り上げられた脚本とキャラクター設定が秀逸。
ディズニー作品の完成度の高さをこれでもかと見せつけられる良作です。
それでもやはり、子供向け過ぎて、自分には少しくどかった。。。
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2016.06.05(Sun)
この映画はX-MENものだったのね。
しかも、ウルヴァリン・ネタが何度も映画で出てくると思ったら、既に「ウルヴァリン: X-MEN ZERO」に出演済みとは全く気付かなかった(笑)
その他、映画ネタが満載なので映画ファンにはそれだけでも単純に楽しめる。
ガンを治療し、ミュータントとしてよみがえったデッドプールの特殊能力は身体の再生能力。
銃で撃たれようと、腕を切られようと時間はかかるが再生する。
この能力を存分に(?)発揮しすることから、頭部をナイフで刺された上で蹴り倒される等、結構きょーれつな残虐表現満載だ。
そのせいか映画はR15指定。
ただ、嫌いではないのだけれど、個人的にはこの手の映画はちょっと飽きてきたかな。
デッドプールは映画「ウルヴァリン: X-MEN ZERO」に出演してるのに知らない人が多すぎる件
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2016.06.03(Fri)
「ヒメアノール」とは、イグアナ科アノール属という言葉があり、ここから来ている造語である。
猛禽類のエサにもなる小型爬虫類(体長が10cmほどの小ささ)「ヒメトカゲ」を意味し、転じて、「強者の餌となる弱者」のことということらしい。
岡田(濱田岳)、安藤(ムロツヨシ)、森田(森田剛)は皆、社会一般的な目からすれば、自ら語るように「底辺」であり「ヒメアノール」かもしれない。
一見、社会生活の中でそう見えても一皮むけば全く違う人間像があるところに現実世界への不安感が募ってくる。
始まってからゆうに30分以上たってから現れるタイトルは、前半でその社会生活の悲喜をコミカルに見せていたのはあくまでも表層的なものだと言い放っているのだ。
本当のヒメアノールはどういうことかを描く本編はこれからだと。
一番際立って見える対比は、安藤と森田だろう。
前半、抑揚のない話し方とうつろな目つきでいかにも「危ない奴」に見える安藤は、瀕死のけがを負った状態で岡田のことを「親友」と呼びかけることからも森田とは違う、こちら側の人間だということがよく分かる。
一見、社会的弱者に見えながらも、規則や常識を超えてもはや無敵の存在となっている怪物森田は、岡田とも安藤とも違うあちら側の人間だ。
だがそもそも、森田自身、高校時代にイジメ抜かれた過去をもつ。
強者が弱者を食い尽くしているように見えて、実は強者が扱いきれないほどの怪物を創りだしているパラドックスは、見ている側に強烈に訴えかけてくる。
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